福沢牧場と紅葉印バター

 既に皆さんご存じの福沢農場は、明治35年(1902)、堀基(ほりもとい)が農地として国から払い下げを受け開設したが、体調を悪くして東京に移住した為、福沢諭吉の次女と養子縁組をした福沢桃介に牧場を売り渡し、福沢農場が誕生した。その時、場長に北海道大学農学部1期生の川又忠純を専務に迎えたのです。
 建物は、アメリカ農場をモデルとしたログハウスで、応接室、食堂、居間、洗面所を備えた当時としてはモダンなものだったのです。床には絨毯(じゅうたん)が敷かれ、バルコニーが設けてあったとの事。
 福沢桃介は、幌付き四輪馬車で揺られながら農場に来たのです。その馬車は現在、稚内市北方記念館に展示されています。
⑤「紅葉印バター」は天北線に積み込んで東京方面に出荷されたのです。